
ヒコロヒーさんのエッセイの一節から、無理矢理自分のテーマに繋げたわけですが、最後にまたヒコロヒーさんの文章を引用した時、完璧な終わり方ができたと思いました。偶然の要素が強いですが。
紹介した本のことだけでなく、その回に考えていたことを書き残しています。書いた順に並べているので、上から読むと新しい回から、下へ行くほど前の回になります。
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ヒコロヒーさんのエッセイの一節から、無理矢理自分のテーマに繋げたわけですが、最後にまたヒコロヒーさんの文章を引用した時、完璧な終わり方ができたと思いました。偶然の要素が強いですが。

みうらじゅんさんのすごいところは、「言葉の置き換えによる実用的なライフハック術」を数多く生み出しているところだと思います。これは卓越した抽象思考の為せる技です。誰も出来ませんよ、こんなこと。

言語化言語化うるせえよ!という気持ちが5年以上ずっと私の中にあって、それを吐き出した感じですね。感情が言葉にできる、というのは、「言葉と感情」両方への認識の浅さであるとずっと思っています。

「終極の語彙」という言葉に惹かれました。それがなぜかを聞かれても答えられない、その人の理由の終着点ということですが、それが私たちはバラバラであると。保守とリベラルも、思想的には相容れないけど、実はこの終極の語彙ではわかり合える可能性がある、という視点も非常にユニークで希望を感じました。

「誰も見ていないが、自分が自分を見ている」この一文をこのエッセイで読んでから、明確に自分の中の「もう一人の自分」を意識するようになりました。確かにそいつが常に自分を見ているなと。でもこいつって一体誰なんだ?本当に自分か?というのは未だわかりません。

苦しまぎれ、時間ギリギリで書き上げた記憶があります。にも関わらず、驚くほど大きな反響がありました。わかんないもんだなと。あとはやはり、読んでくれる皆さんが「自分」というものに興味がある、自分のことを知りたいと思っていることを実感しました。

汗かきエピソードで恥を晒して笑ってもらおうと思っていたら、話がどんどんシリアスな方向に進んでしまいました。中盤で「屈辱」という言葉を出してしまったからだと思います。文章って、たった一語がその後の流れを決定づけることがあり、それを止めることはできません。やはり難しいです。

リスペクトのハードルは上げない方がいい、という話ですね。自分が苦手なことが出来る時点で凄い。大きなことではなく、小さなこともできない自分に気づこう、という。そうすれば気持ちのいい人間になれる気がします。